迷い途惑い
2017-09-11
先日も、友人と酒を飲んだ時に…
「私は◯◯と考える」とか「私は◯◯だと分かった」とか熱く語っていた( ̄▽ ̄;)
酒の席はおいといて、道教的な人は善悪好悪の別をつけない。
この思想の根本は「何もしない事」と言っていいと思う。
この「何もしない」は「動かない」とかではない。
自ら何も思わず…世俗(自然な)の流れに身を任せている…と言った所でしょう。
一般論や常識では、有り得ない思想ですが、無我の境地とは、この事だと言っていいと思う。
こんな一見、アホ過ぎる思想を仏教や武術家など、様々な人達が目指したのは、
単に最高の結果をもたらす事が分かっていたからであります。